ばらばら その1

第一章
 
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 ……「夢」を見ていました。
 「夢」の中の僕はまだ小さい子どもで、裏庭を元気に遊びまわっているんです。
 季節は、やっぱり夏でした。
 生垣にはあさがおのつるが、いくつも巻きついていました。すぐ側にはひまわりが、太陽に向かって大きな花を開かせていました。
 僕はといえば、ちょっと大きめのサンダルをつっかけて、下は半ズボン、上はランニングだけの軽装です。背後から母が、「秀一(しゅういち)、暑いから帽子をかぶらないといけませんよ」なんて言っていました。僕は「はーい」と明るく大きな声で返事をして、縁側の方からいったん家へ入り、お気に入りの野球帽を受け取って、また飛び出すんです。どこのチームの、どんな帽子だったか、もうはっきりとは覚えていませんが、まだ今でもこの家のどこかに、奥の方にしまいこんであるんじゃないかと思っています。
 そして庭に戻れば、大好きな父の姿がありました。
 父はいつでも、僕の遊び相手になってくれました。自転車に乗っているときは、しっかりと後ろで支えて押してくれましたし、きれいな蝶が飛んでいると、虫取り網で見事に捕まえてくれました。肩車をしてくれたり、両手をつかんでぐるぐるぐるぐる、僕と一緒に回ってくれたり……そして今度は、キャッチボールです。僕らの手には、すでにグラブがはめられていました。
 僕は真っ白なボールを、父の大きな体めがけて、精一杯の力で放ります。それを受けとめた父は、ゆっくりとしたモーションで、僕が捕りやすいように優しく投げ返してくれるんです。ときどき僕はふざけて、わざとあらぬ方向へと投げつけたりもするんですが、そんな球でも、父は決して後ろにそらすようなことはしません。高い球はジャンプして、左右の球はすばやく走り寄って、すべてキャッチしてくれます。まるで、プロ野球の選手みたいに、華麗なボールさばきを見せてくれるんです。
 そうやって僕らの間の、心のこもったキャッチボールは、いつまでもいつまでも続いていきました。僕はほんとに楽しくて、ずっとずうっと笑っています。家の中に居る母も、ニコニコしながら僕らを見ているのがわかります。そして父も……でも父は……。
 
 ああ、そうか……これは「夢」なんだな、と思い知らされるのは、そんなときです。
 
 父の体つきまでは、はっきりしているんです。背は高く、手足もすらっと伸びて、体は筋骨隆々、そんなたくましさを感じさせる姿です。服装は、クリーム色したポロシャツに明るい茶のズボン、足には黒いラインの入ったスニーカーを履いていました。
 ところが、肝心の父の顔は、僕がどんなに目を凝らしてみても、なぜかぼんやりとかすんでしまっているんです。笑っていることはわかるんです。いっしょに楽しんで、喜んでいることもわかるんです。だけど、表情まではわからないんです。夏の強い日差しが、ずっと父の顔を覆い隠してしまうんですね。
 その風景は、現実にあったこと、忘れてしまった幼いころの記憶がよみがえったものなんじゃないか、そう思うこともあるんですが、でも結局は、それは僕の単なる想像、こうだったらいいのにな、というたわいもない願望が、「夢」としてただ再生されただけなんでしょうね。
 僕には……「父親」と呼べるような人が、存在していませんでしたから……。
 私生児、非嫡出子っていうんですかね。戸籍にも父の名前は書いてありません。さすがに昔は、母にあれこれ問いただしたりもしたんですが、「早くに死んだ」とか「遠くに住んでいる」とか、その場その場で適当なこと言われていました。まあそれでもまともな受け答えの方で、最後には「うるさい」「だまれ」とか怒鳴られて、取り合ってもくれなくなりましたよ。
 そうそう、もう一つ、これは「夢」なんだ……ということに思い当たる節としては、その風景の中での母が、現実のそれとは、あまりにもかけ離れているということもありますね。「暑いから帽子をかぶらないといけませんよ」だなんて……そんなやさしい言葉を、僕にかけるはずがないですから。あくまでほったらかしにしておいて、僕が日射病にでもかかった後で、「この炎天下に帽子もかぶらずにはしゃぎまわったらどんな目にあうかわからなかったのかね」なんて、したり顔で言うような……そんな、そんな人なんですから。
 自分で調べて、いろいろはっきりしたのは中学生のときです。不思議な事に、「夢」は父親がいないことがわかってから、逆に頻繁に見るようになりましたね……。
 
 ……こんな感じで良いですか。ちょっと回りくどいですかね……あ、いや、これが本筋に関係があるかどうかはわからないですけれども……すべてがはじまった日のことを思い返してみたとき、なぜかまっさきに頭の中に浮かんだのが、そのとき「夢」の中で見ていた、理想の家族の風景だったものですから……すみません……。
 
 その日、僕が寝ていたのは、ここの居間のちょうど真ん中あたりだったと思います。昼飯を家で食ってから、ダラダラしていました。座布団を枕に扇風機の心地よい風にあたりながら、テレビで高校野球とか見ているうちに、いつのまにか眠ってしまったようです。「夢」の中の、子どものころの自分とおんなじような格好をして、それでいて、すっかりたるみきってしまった体を、トドのように横たえていました。
 縁側の戸は開いたまま、窓も開けっ放しにしていましたね。まあ、ご覧のとおり、そこの生垣は結構な高さがありますから、外からのぞき込まれることはなかったでしょうけれど、ほんといいご身分だと、自分でも呆れ返ってしまいますよ。
 「夢」を見るぐらいですから、眠りはかなり浅かったはずです。物音か光の加減かわかりませんが、すぐ側に人の気配を感じました。なので、徐々に目覚めかけていたんじゃないかと思います。ところが、急に肌に何か冷たい感触がして、僕は驚いて飛びあがってしまいました。「うわあ」とかなんとか、悲鳴のような声をあげたかもしれません。
 
 恵美(めぐみ)が笑った顔で、その場に座っていました。
 手には大きな、その顔よりも大きな、スイカを抱えていました。
 彼女は、白いヒラヒラのついた、ピンクのワンピース姿で……そして……そして……。
 
 恵美……ああ……めぐみ……。
 
 恵美のことを思い返すと、やっぱり胸が痛みます。恵美は隣に住んでいた幼なじみでした。年は二つほど下で、僕と同じく一人っ子でした。
 うちは片親、あちらは両親共働きで、小さいころからともに寂しい思いもしていましたから、生垣の下を潜って、互いの家をよく行き来しあっていたものです。ただいつのまにか、彼女の方からわが家を訪れることの方が、多くなりましてね。それは大きくなってからも変わることはなく、恵美は何かと理由をつけて、ちょくちょく顔を見せにきてくれていました。さすがに出入りは、ちゃんと玄関からになりましたけどね。ハハハ……。
 僕を驚かせたものは、十分に冷やされていた、スイカだったんです。恵美はそれを転がして、僕に軽くぶつけたみたいなんですね。
「おはよ。シュウちゃん」
 と、恵美が言いました。僕はずっと「ちゃん」づけで呼ばれていました。僕はその呼び方を嫌って、何度も止めるようにいいましたが、恵美は聞く耳を持ちませんでした。今にして思えば、それは彼女の、僕へのかわらぬ愛情表現のひとつだったわけなのですが、大人になりきれていない僕には、そこまでは気がまわらなかったんです。
「スイカ、いただいたの。うちじゃあ全部食べきれないから、おすそわけ」
 そう言って、スイカをもう一度抱えると、また笑いました。
 
 恵美の笑顔──。今でもまぶたに焼き付いて離れません。恵美はこう……ぽちゃぽちゃっとしていて(なのでいつも体のラインが隠れるようなふんわりとした服ばかりを着ていました)、美人とはいえない顔立ちではありましたけど(まあ僕も人のことは言えませんけどね)、でもそんなのはうわべだけの問題です。心がきれいな人は笑顔もきれいと言いますけど、本当にすてきな、とびっきりの笑顔だったんです……。
 恵美は……ほとんど最後まで、僕に対する態度、僕への接し方を変えることはありませんでした。昔からの仲のいいお隣さん。頼りがいのあるやさしいお兄さん──後の方は勝手な想像ですけどね──そんな風に扱ってくれました。そして明るい元気な姿を、いつも僕に見せてくれていました。
 変わったのは僕の方です。拒んだのも僕の方からです。その笑顔がまぶしかった。その素直さがねたましかった。それでいて、年下の女の子のやさしさに、ただ甘えていたんです。
 よくは覚えていませんが、そのときもふてくされて、ぶっきらぼうに接してしまったと思います。「ああ」とか「そう」とか、口をとんがらかせながら、気のない相槌をうっただけだと思います。勝手に部屋まで上がりこんできたことに対して、嫌みの一つもこぼしたかもしれません(恥ずかしい格好で寝ていたところを見られたわけでもありますからね)。それに対して恵美は、そんな僕の態度もさらりと流して、「冷えていたでしょ? 今すぐ、一緒に食べようよ」と言いました。そして言うやいなや、僕の返事を待たずに立ち上がり、台所へと向かいました。勝手知ったる隣の家の台所、といった感じでした。
 ときどき恵美は、僕のために食事まで作ってくれることもあったんですよ。正直……母よりも料理の腕もありましたね。偏食ぎみな僕のために、いろいろ骨をおって、献立なんかも工夫してくれたりもして……ほんとに……本当に……。
 
 恵美は……良い娘でした。非の打ち所もなかったと思います。そんな娘がすぐ側にいて、甲斐甲斐しく世話も焼いてくれる。男として、申し分のない世界だと思われるでしょう。しかし……僕も彼女のように素直に、まっすぐに成長できていればよかったんですが、そうではないことが、僕をひどく苦しめました。
 そのとき、僕は浪人中でした。しかも二浪目です。受験生ならば、夏の真っ盛りとはいえ、勉強勉強に忙しい毎日を送っているはずですよね。実際、僕は母から多額な金を援助してもらって、駅前にある大きな予備校に籍をおいていました。そこでは、ありとあらゆる特訓カリキュラムが実施されていたはずです。はず、なんですが……その年、まだ梅雨に差しかかるか、かからないかぐらいのころから、僕はそこへは、ほとんど通わなくなっていました。
 朝のうちは親の手前早くに家を出ますが、予備校には向かわず、そのままコンビニや本屋などを冷やかしたり、なけなしの金でパチンコをしたりして時間をつぶし、母の帰りが遅いことをいいことに、夕方ぐらいにはもう家に戻って来ていました。図書館に行くこともありましたが、目当ては勉強や参考書ではなく、スポーツ新聞や週刊誌の類です。そしてその日も、そのサボリの典型みたいな一日だったんです。
 「夢」? ああ、将来の方の「夢」ですか。そう……ですね、僕は、何になりたかったんでしょう? いや、冗談じゃなくて、本気でそう思います。何がしたかったんでしょうね。何もせずに、自堕落な日々を過ごすばかりで……なんとかなるわけがないじゃないですか。
 結局、僕は恵美だけでなく、母にも世間にも、ただ甘えていただけなんでしょうね。そのくせ、自分の運命を悲観したり、他人をうらやんだりなんかして……ほんとにどうしようもなかったと思いますよ。
 恵美は……きちんと目標に向かって進んでいたと思います。学校の先生になりたい、とか聞いたことがありました。大学も教育学部を選んでいたはずです。とにかく子どもが好きで、子どもに囲まれた仕事がしたいって言っていました──僕自身は嫌いでしたけどね、子どもなんて。うるさいし、生意気だし──まあ、それはともかく、恵美は真面目で頭も良かったですから、高校もトップクラスの成績で卒業して、地元の国立にストレートで合格していました。
 いつのまにかすっかり追い抜かれていたんです。僕は……いや、抜かれたのは、もっとずっとずっと前のことでした。もうそのときは、挽回することができないくらい引き離されてしまっていた、と言った方がいいんでしょうね……。
 でも恵美は、その大学生になってはじめての、せっかくの夏休みだっていうのに、まだ毎日のようにやって来てくれていたんです。変わらぬその笑顔を、僕に見せてくれたんです。僕を元気づけようとするかのように。なのに……なのに、僕は……
 僕はふてくされていました。嫌な気分にさいなまれていました。別に恵美は、僕を責めたりはしません。「予備校はどうしたの」とか「勉強はかどってる」とか、何も聞きませんでした。自分の大学生活についても、何も話しませんでした。僕を刺激するような話題を、避けていてくれたんでしょうね……ただスイカを大きく切って戻ってきて、その一つにかぶりつきながら、「おいしいね」と言って、にっこり微笑んでくれただけなんです。ただ、それだけで……。
「……そうだね」
 僕は、またそんな風に曖昧な返事をして、下を向いたまま、ずっとスイカに口をつけていました。長くしゃべったら、つい本音を漏らしてしまいそうで、それより恵美の顔を間近に見てしまったら、傷つけてしまいそうで、とんでもないことを口走ってしまいそうで、怖かったんです。いえ、自分自身がこれ以上惨めになることの方が、もっともっと怖かったんです。
 スイカを食べた後は……何を話していたのか、もうよく覚えていません。恵美が一方的に何かをしゃべって、僕が適当な相槌を打つ、そんなやりとりだったと思いますが、いかに真剣に話を聞いていなかったか、という証しみたいなものですよね。でもそのままずっと、恵美は僕の側から離れようとはしませんでした。
 おそらく恵美は、うちでの夕飯の席に、また混ぜてもらおうと思っていたんでしょう。うちでは母の意向もあって、朝晩は必ず一緒に食事を取ることになっていました。ところが恵美の家では……もはやそんな習慣すら、途絶えて久しくなっていたみたいでした。
 母がちょくちょくうわさを聞いてきたりしていましたし、少し前まで、夜な夜な隣から怒鳴り合う声が聞こえたりもしていましたから、何か家庭内に問題を抱えているみたいだってことは、さすがの僕でも気づいていましたよ。
 家庭がそんな状態なのに、よく恵美はちゃんとした娘に成長したと思いますよ。早くに家を出たい、すぐにでも独立したい……そんなことをポツリと漏らすこともありました。そんな彼女の力になってやれなかったことが、彼女の支えになってあげられなかったことが、とても……とても残念でなりません。
 
 ……ええ、そうですね。たとえ恵美が実際に助けを求めてきたとしても、僕には、どうすることもできなかったでしょうけどね……なにしろそのときの僕は、そんな恵美の事情を察することもなく、なんで早く帰らないのだろうと、腹を立ててまでいたんですからね……。
 
 そしてその日、母が帰ってきたのは、あたりがすっかり暗くなってからでした。僕はもう、恵美と二人きりのままでいることが耐え難くなっていましたから、ほっとした気分になったことを覚えています。
 ところが玄関から聞こえてきた声は、母だけではありませんでした。もう一人、誰か男の人が一緒みたいでした。恵美もそれに気づいた様子で、僕らは顔を見合わせていましたが、やがて僕らが腰をあげるよりも早く、母と連れの男性が、その姿を見せました。
 
 金田さんと会ったのは、そのときがはじめてだったんです。
 僕ら四人がそろったのは、そのときがはじめてだったんです。
 
 
(続く)