花火
ひゅるひゅる……
どん!
花火だ
花火だ
花火がひらいた
でっかく
まあるい
花火がひらいた
真っ赤で
あざやか
花火がひらいた
きれいだ
きれいだ
きれいな花火だ
今年も
いっぱい
花火がひらいて
僕らを
なんども
楽しませてくれた
ここは田舎の
小学校
ここの屋上は
特等席
花火を見るには
いっとうの場所
なのに
頑固でイジワル
先生たちや
ガミガミうるさい
親たちが
ここへの出入りを
禁止した
「ここはたいへんあぶないところ」
「ここでこどもがいっぱいしんだ」
「ここであそぶこいけないこ」
「きけんきけんとってもきけん」
扉をがちゃんと
閉めちゃった
おまけに階段
とおせんぼ
おかげでここは
いつもひっそり
満月なのに
今夜もひっそり
でもね
言うこと聞く子
ばかりじゃないよ
だってほらほら
耳をすませば
通路をふさいだ
机をすりぬけ
いくつもかかった
カギをこじあけ
小さなぼうやが
やってきた
ざわざわ
ざわざわ
えらいぞこの子は
勇気ある子だ
誰でも花火は
見たいもんだよ
でもでもこの子は
下向いてるぞ
花火が開けば
元気になるよ
さあさ一歩ずつ
足うごかして
もっともっと
歩いてゆこう
も少し前に
ずずっと前に
どんどん前に進もうよ
はしのはしまで
つきあたりまで
どんどん先へ進もうよ
どきどき
どきどき
おっとフェンスが
邪魔してる
なんでこんなの
つけたんだろう
いっそそいつを
乗りこえようか
ゆっくり上れば
大丈夫だから
わくわく
どきどき
どきどき
わくわく
そしてとうとう君は縁までやって来た
下は目も眩むような高さだね
だけどもはや行く手を阻むものは何もない
テストの点が悪いと叱る母親も
君を理解しようとしない担任も
毎日虐めるクラスメイトも
誰もだあれもここにはいない
君は一人ぼっちになったんだ
だからね
僕らは花火が見たいんだ
でっかくまあるい見事な花火が
ぱっと開くのが見たいのさ
だからさ
ぐずぐずするなよ
震えていないで泣いていないで
さっさと花火を見せておくれよ
早く
はやくう
と・べ・よ
翔べったら!
……
ばっ
ひゅるひゅる……
どん!
ぶしゃ!
……
ああ……
やっとひらいた
花火がひらいた
真っ赤な血しぶき
花火がひらいた
まあるい血だまり
花火がひらいた
地面いっぱい
花火がひらいた
きれいであざやか
素敵な花火だ
すごくておっきな
立派な花火だ
でも……
見たいな見たいな
まだまだ見たいな
あっと言う間に
終わっちゃったし
足りない足りない
ちっとも足りない
こんなちょっとじゃ
満足できない
もっともっと
見せておくれよ
僕らに花火を
見せておくれよ
もっと……
たくさん……
おーい
そこの君
君もよかったら
屋上へ花火を見にこないかい
楽しいよ面白いよ
だからさ……
……ね?
(おしまい!)
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本作は「のべらっくす」さま主催、『【夏休み特別企画】納涼フェスティバル 』参加作品です。
ぼろぼろぼろ
大粒の汗が、子ども用スマホの画面にしたたり落ちた。
茜はハンドタオルを取り出して額をぬぐい、そのまま画面の汗も拭きとろうとした。しかしタオルはもうすっかり湿っていたため、うまく拭きとることができなかった。やむを得ず、表示がはっきり見えるまで、その液晶部分を何度もシャツの袖にこすりつけた。
(ここらへん……なんだけど……)
あらためて画面を覗きこむ。さきほどからずっと、地図用のアプリは立ち上がったままだ。目的地のフラグと、自分の現在位置のフラグとは、たいして離れていないように見える。確かにそう見える、のだが……。
茜は辺りを見渡した。正面にはどこまでも続く、長い長いアスファルトの道があった。左右にはうすら高い塀や電柱がそびえ立ち、その奥には大小さまざまな家々が並んでいる。通りには人気もなく、それどころか犬猫の姿すら見えない。よそよそしくも寂しげな、郊外住宅の一景が広がっていた。
さらに――頭上で輝く真夏の太陽が、茜をさらなる別世界へと誘っていた。薄っぺらな黄色い学生帽だけでは、その熱を遮ることなどできはしない。すでに視界の先は蜃気楼のごとく霞んでおり、幼いながらも順序立てて考えようとする思考回路は、その動きをすっかり鈍麻させていた。
ランドセルの縁にぶら下げていた水筒に手を伸ばしてみる。ただそれはとうに空になっていることを、再認識しただけに過ぎなかった。コンビニなどどこにも見当たらない。昔ながらの小売店すら同様である。自動販売機は目にするものの、クラスで一番小さな茜の背丈では、どんなに手を伸ばし、どんなにつま先立ちをしても、商品のボタンを押すところまでたどり着けないのであった。
(あつい……よお……)
もうどれくらい歩いたことだろう。この町でバスを降りるまでは順調だった。なのにどこで迷ってしまったのだろう。
表示は何度見ても変わらない。子ども用とはいえ、アプリはそれなりに動いているはずだった。ひょっとして登録した情報が間違っていたのだろうか……。
母から届いた一通の手紙。なぜだか父は、それをびりびりに破いてゴミ箱に捨ててしまっていた。あいにく住所はちゃんと読めはしなかったけれど、郵便番号だけは見て取れた。今日はそれを頼りに、ここまでやって来たというのに。
(かえろう……かな)
とも思ったが、もはやどの道を通ってここまで来たのかすら、わからなくなっていた。足も痛くてこれ以上歩けそうにもない。だからといって、この炎天下の中で待ちぼうけてもいられない。せめてどこか休めるところはないものかと、茜はもう一度、必死に辺りを見渡してみた。
(あ……)
気がつけばすぐ隣には、狭い駐車場が設けられていた。もとは家が建っていたところを、とりあえず更地にして再利用しているような場所だ。そこに日本では珍しい巨大なモンスタートラックが停まっていた。そんな車を見たのは生まれてはじめてだったし、その大きさにもすっかり圧倒されてしまったが、茜が特に目をつけたのはその車高だった。縦横に厚みのある太いタイヤをつけて、かなりの高さまでリフトアップされている。その間に人が入り込んでも、全然余裕があるように思えた。
学校では危ないから車のそばで遊んではいけないと、きつく言い含められている。しかしそのトラックは動いていないのだし、すぐ誰かがにやって来るような気配もない。少しだけ、ほんの少しだけ、この強い日差しから逃れられたらそれでいいのだ。ただそれだけのことなのだ。茜はそうやって自分の行動を正当化し、駐車場の中へと入り、そのまま車体の下に潜り込んだ。
日陰に入っただけで、明らかに空気が変わったのがわかる。コンクリートの地面は、生温かさは感じられるものの、じかに触れて火傷するというほどではない。茜はスカートを敷いたまま体育座りをすると、ほっと大きく息をついた。
(ママ……)
しばらくしてから背中のランドセルを正面へと回し、中を開いた。教科書や筆箱と共に、昨日の給食で食べきれなかったパンも、ナプキンに包まれて残っている。茜はそれらを隅のほうへ押しやると、丸めた八つ切りの画用紙を取り出した。留めてあった輪ゴムをはずし、その場で紙を広げてみた。
担任は『かぞくのひとのかおをかきましょう』とだけ言った。別に『おかあさんのかお』を、とまでは言われなかった。それでも茜は母を描いた。満面の笑みを浮かべた母親の表情を、画用紙いっぱいに一生懸命に描いた。
まわりはその出来栄えをほめてくれた。別に教室に貼り出されたり、コンクールに出品されるといったレベルのものではなかったが、自分ではそれなりに満足をしていた。そして茜は、この絵を何としても母に見てもらいたいと思った。きっと母も喜んでくれるに違いないと思った。昔の母に、明るかった頃の母に、戻ってくれるのではないかと思った。そう思うと、居てもたってもいられなくなったのだ。
今日は土曜日で、月一の午前授業がある日だった。それが終わってから、茜は集団下校にも加わらずに、一人で飛びだしていったのだ。父親は土日関係なく遅くまで仕事に出ているし、おもり役の父方の祖母は、駅のカルチャースクールに出向く日だった。その祖母が戻るまでに家に帰りつけておけば、何一つ問題ないはずだった。
はずだったのに。
(…………)
茜は絵を手にしたまま、立てた膝の間に顔を埋めた。だけど、もうどうだっていい。どうなったっていい。アイスが食べたい。ジュースが飲みたい。冷房の効いた部屋に戻りたい。マンガを読んで、ゲームをして、だらだらテレビを見ながら、ソファの上でそのまま眠ってしまいたい。それから、それからそれから……。
「おい、お前。そこで何をしている!」
突然大きな声がして、はっとなった。それと同時に大きな手が伸びてきて、腕を捕まれた茜は炎天下の外へと引きずり出された。
「こんなところに入り込んで、危ねえじゃねえか」
相手は太った中年男だった。髪を金髪に染め、どぎつい色のロゴの入ったTシャツに破れたジーパン、サンダル履きといったラフな格好をしていた。動くたびにジャラジャラと、腰につけたキーホルダーが音をたてる。それだけでも十分畏怖の対象にもなるというのに、男は黒くて大きいドーベルマンまで連れてきていた。
その犬はまっすぐに茜の方を向いていた。真っ赤な舌と鋭い牙をのぞかせて、荒い息を小刻みに吐き続けている。何故だかその呼吸音が、『わかっているぞ。お前のことはなんでもわかっているぞ』と言っているように思えてならなかった。
「この辺りのガキじゃねえな。どこの小学校だ」
茜は慌ててランドセルを背中に抱えなおした。直立の姿勢にはなったが、視線は下を向いてしまう。
「ひょっとして、迷子なのか?」
さらに問いかけられたが、何も答えられなかった。どうして自分がこの町の子どもではないとわかるのだろう。
「いずれにしても、人んちの車の下で寝ちまうなんて、ふてえガキだ。ちょっと、そこの交番まで、一緒に来い」
(……『交番』?)
その言葉にドキンとする。当然そこにはおまわりさんがいて、そしてそのまま逮捕されて、牢屋に入れられてしまうかもしれない。そうでなくとも、父親が呼び出されて、こっぴどく叱られてしまうことだろう。そうなると母の元へは、もう二度と来ることができなくなるのではないか……。
「聞こえないのか。とにかくこっちへ来るんだ」
男はそう言って、もう一度茜の腕をつかもうとした。
(ごめんなさい!)
彼女は思わず、深々と頭を下げた。と、ランドセルがきちんと閉められていなかったらしく、その中身が勢いよく辺りにぶちまけられた。
「ウォン!」
あのドーベルマンが低い声で吠えたかと思うと、いきなりあらぬ方向へと走り出した。
「あ、こら!」
男もそれに引っ張られる感じで、茜の元から離れて行った。驚いて顔を上げると、給食の残りのパンが、ころころと駐車場の端まで転がっていくのが見えた。どうやら犬はそれを追いかけて行ったらしい。
(……逃げなきゃ)
そう思うと茜は、急いで散らばっている教科書などを詰めなおして駈けだした。背後で何か男が叫んだようだったが、それも無視して一心不乱にその場から離れて行ったのだった。
(…………)
どれほどの時間が過ぎたことだろう。茜は母がいるはずの家の前に立っていた。この門構え。二階建ての家屋のシルエット。表札には母の旧姓が書かれている。以前まだ仲が良かった両親と共に、車で訪れた時の記憶と照らし合わせても間違いはないはずだった。
母はいきなり訪れた自分を見て、なんと思うだろう。喜んでくれるだろうか。それともすぐに叱りつけるだろうか。でも、そんなことは些細なことである。早く母の顔が見たい。どんな表情であってもいい。母に会えるだけで、それだけでかまわないのだから。
(ママ……)
茜は門のポストについている呼び鈴を押してみた。「ピンポーン」という乾いた音が、かすかに家の中に響いているのがわかる。茜はなんだかそわそわして、身なりを整え、笑顔を浮かべる準備をした。
ピンポーン。ピンポーン。
だが何度呼び鈴を押しても、誰も出ては来なかった。
家を間違えたか。そんなことはない。では引っ越してしまったのか。でも表札はかわっていない。買い物にでも出ているのだろうか。だったらもう少し待っておいた方が良いのかもしれない。
しかし……。
門には鍵がかかっていて、中に入ることはできそうになかった。辺りを見渡したが、隣家にも通りにも、相変わらず人の気配は感じられない。日は傾きつつあるとはいえ、やはり日差しは強いままだし、何よりそろそろ帰らないと、祖母が自分がいないことに気付いて騒ぎ出すのではないだろうか。
(…………)
茜はギュッとその小さな手を握り締めた。今日のところは仕方がない。もともと無理な計画だったのだ。またいつだって来る機会はある。家の場所はもうわかったのだし、今度はちゃんと飲み物とかも準備して、いや、もう少し涼しくなってから来たっていいんじゃなかろうか……。
(そうだ。絵だけでも……)
あの絵だけは、すぐにでも母に見てもらいたかった。自分が今日ここまでやって来たという証しでもあるし、なによりあれを見れば、今の自分の気持ちを理解してくれるに違いない。今でも自分は母を愛していること、母がいなくてとても寂しいのだということ、それらを十分にくみ取ってくれるに違いなかった。
ポストにでも入れておくことにしよう。茜は急いでランドセルを下ろして、お目当ての品を取り出そうとした。
(……あ、あれ?)
ところが、ランドセルのどこを探しても、あの絵は入っていなかった。
ランドセルをひっくり返した。また辺り一面に中身が散らばっていったが、肝心の絵だけがみつからない。やがて茜は、ふっとあることに気がついてしまった。
(あの時……)
最後に絵を眺めたのは、あの車の下に潜り込んだ時だ。その後、男に見つかって、急いでそこから逃げ出して……そのあたりから絵に関する記憶が曖昧になる。手に持ったままだったのか。それともランドセルにいったんしまったか。いやあの場でも中身をぶちまけてしまったのだから、拾っておかないといけなかったはずだ。それに最初は輪ゴムで留めていたのだから、それもつけ直さなければならなかったはずで……。
(…………)
もはやあの駐車場に戻ることはできない。なによりあの場所がもうどこにあるのかすらわからない。あの絵に名前は書いてあったけれども、住所までは書いていないので、運よく誰かに拾われたとしても単なる落書き、あるいは単なるゴミにしか思われないだろう。
(うっうっうっ……)
ぼろぼろぼろと、大粒の涙がしたたり落ちた。
茜はその場に立ちすくんだまま、もはや力なく泣き続けるよりほかないのであった。
(終)
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本作は「のべらっくす」さま主催、『【第10回】短編小説の集い 』参加作品です。
ばらばら その3
第二章
1
それから二週間ほどたったある日のことです。
この日もいろいろな出来事があって、長い一日となりました……。
すっかり世間では、夏本番といった感じになっていました。街のあちらこちらで、はしゃぐ学生連中の波ができていて、どこもひどく混雑していました。
時刻は昼過ぎだったと思います。僕はブラブラと、時間をつぶせる場所がないかと、さまよっていました。
よく行く大型書店は休業日でしたし、数日前パチンコでボロ負けしてしまったので、手元にはまったくお金がありませんでした。予備校に戻るには少々敷居も高く、家へ帰るにはまだ早すぎました。どうにも中途半端な時間帯だったんです。
公園の日陰で昼寝でもしようかとも思いましたが、いい年した大人がベンチでたたずんでいるだけで、警察を呼ばれかねないご時世でしたからね。なるべく人ごみを避けながら、歩き続けていました。
「やあ、秀一くん」
そんなところで、いきなり名前を呼ばれて、心臓が止まるほど驚きました。振り返ると金田さんが、汗を拭き拭き立っています。「こんちわ。今日も暑いね」……人懐こそうな笑顔です。でもやっぱり、目は笑っていないようでした。
マズイところを見られた、一瞬そう思いました。僕は小声で何か返事を返しましたが、きっと目は泳いでいたことでしょう。極度に緊張して、カチコチになっていたかもしれません。わきの下に、いやな感じの汗もかいていました。いつもこうして予備校をサボっていることを、金田さんに、よりにもよってこの人に、知られてしまったかもしれない……と思ったわけですからね。はたから見れば、いかにも挙動不審な態度にも写ったんじゃないでしょうか。
でも金田さんは、そんな僕のふるまいなど眼中にないのか、それとも見えていても無視しているのかどうかわかりませんでしたが、「ちょっと涼んでいかないかい」と言って、顎をしゃくって近くの喫茶店へいざないました。僕は「はあ」とか「はい」とか、返事にならない返事をして、さっさと先を急ぐ彼の後をついていきました。
繁華街にあるにしては、薄暗くてかなり寂れた雰囲気の店でした。冷房をかけすぎているせいか、急激に汗が引いていった代わりに、寒気すら感じられました。また、客は僕たち以外は、誰もいない様子でした。
金田さんは水とおしぼりを持ってきたウェイトレスに、即座にアイスコーヒーを二つ注文して、「ウマいのをね」と、付け加えました。さらに、そのウェイトレスが行ってしまってから、「……で、いいよね」と、僕に確認するのでした。僕は小さくうなずいて、おしぼりで顔を拭き始めた金田さんの姿を見ているだけでした。
「この近くに、僕のお得意さんの会社があってね」
と、金田さんは拭き終わったおしぼりを、テーブルの上に投げ捨ててから話しはじめました。
「……そこに寄った帰りなんだよ。そこの社長さんは、前の前の会社にいたころからの付き合いで、男気のある方でね。新しい保険のことを話したら、『よし金田が勧めるんならうちの会社の人間全員に入らせる』なんて言ってくれてね。大口の契約がとれたんでいい気分だったところに、君の姿を見つけたところだったんだ。だからここはおごらせてもらうよ。いいよね」
僕はぎこちなく、愛想笑いを浮かべていたと思います。そんな僕にかまわず、それからまた金田さんは、一方的にべらべらしゃべりはじめました。
「いやー、でも、僕がこれまで一度で取った契約者数の記録には、到底及ばないけどね。そんときも、ほんと幸運が僕に味方してくれてさあ……」
正直、聞くに耐えないと思っていました。自分には関係のない話ですし、とどのつまりは自慢話なわけですから。でも僕は、ヒマでしたし時間もつぶせるし、おごってくれるというなら好きにさせよう、少しは我慢してやろうと割り切ってはいました。
ところが金田さんは、話題がまた別の契約話に移っていったあたりで、ふいに、
「ところで、秀一くん、受験勉強の方はどうだい?」
と、矛先を変えて、僕の方に話をふりました。
僕は、そのとき飲みかけていた水を吹き出すまではいきませんでしたけれども、さすがに不意をつかれて、また心臓が止まるような心地になりました。
「え……ええ、まあ……ぼちぼちです」
僕はなんとか答えました。一方で、どこの何がぼちぼちなのかって、自分で自分に突っ込んでいましたね。
「そう……僕も経験あるけど、つらいよねえ、大学受験って。なかなか志望のとこの点数に手が届かなくてさあ。大いに苦しんだよ、僕もね……」
「はあ……」
「でも僕は運良く、いいところの大学に滑り込むことができて、後はずっとバラ色だったよ。バイトもサークルも恋愛も大いに楽しんだし、就職のときも、結局大学名がモノを言ったからね。やっぱり努力して苦労した分は、おのずとちゃんと帰ってくるものなんだねえ」
なんだやっぱり自慢かよ、と閉口しはじめたところ、
「秀一くんはどこの大学を志望しているの? 学科は? 専門は?」
矢継ぎ早に質問をしてきました。僕は慌てて、
「はあ、まあ……どこでも、入れるところでしたら……」
と、お茶を濁しました。
「おやおや。あまり高望みしないタチなんだね」
金田さんは笑いながら言いました。しかし、やっぱりその目は笑っておらず、ずっと冷めた感じで見つめられていましたので、僕はますます小さくなりました。
(どこの大学を志望しようと、あんたには関係ないだろ……)
内心では、そう毒ついていました。
ところが、金田さんは急に真顔になって僕に向き直ると、
「秀一くん、人生は大学だけじゃないぞお」
と、言い出しました。
(はあ? さっきと言っていることが逆になっていないか?)
そう思う僕を尻目に、金田さんは話を続けました。
「最初に言っていた社長さんの会社、ビルの施工なんかの下請けを行う工務店なんだけど、あそこは今、ひどい人手不足なんだってさ。社長さんはワンマンなんだけど、会社はアットホームで家族的な環境なんだよ。皆仲いいしね。でも若い子があんまり長く居着かないそうなんだ。世の中不況って言っても、まだまだ若い人って高望みしているというか、変により好みしすぎだとも思うんだけどねえ」
(えっ?)
なんだか話が、少しおかしな方向に進みはじめているのがわかりました。ですが、金田さんの話は止まりません。
「でも僕は、今は中小が狙い目だとにらんでいるんだ。小さいところからでも、コツコツと経験を積んでいって、いずれは独立すればいいだけだし、うまくいけば、大きく名や財を残すことだって不可能じゃないと思うよ……これこそ、男のロマンだと思うんだけどねえ」
と、ちょうどそこへ注文していたアイスコーヒーが運ばれてきました。金田さんは、片手をあげてウェイトレスに形ばかりの礼をすると、ミルクとシロップを自分のグラスになみなみとついで、一気に半分ぐらい飲み干しました。
「僕はね、秀一くんにも成り上がっていく楽しさ、のし上がっていく喜びを、ぜひとも味わってもらいたいと思うんだ……それがいいよね。そっちの方がなんかいいよね。じゃあ、これからすぐに、社長さんに連絡して……」
「ちょ、ちょっと待ってください。急にそんなこと言われても」
さすがに僕は口をはさみました。何を勝手に決めているのでしょう。
「そうかい? 君に取ってもいい話だと思うけどねえ。こんなこと、秀一くんだから話すんだよ。世間の荒波に立ち向かって、一人前の男になりたいとは思わないのかい」
金田さんはそこまで言うと、ちょっと声のトーンを落としました。
「……君のお母さんの心配の種もなくなるっていうもんだしさあ」
母が?
「あの……母が何か、言ったのでしょうか……」
そっちが気になりました。
「いやいや、お母さんもね、いろいろ悩んでいるとは思うんだ……面と向かって言うことは、そりゃないだろうけど、君の将来のこととかさあ」
金田さんは一瞬つい口を滑らせてしまった、といったような表情を見せましたが、すぐにまた話しはじめました。
「君も……このままじゃ駄目だと思っているんだろ、ん?」
「僕は……確かに、はたから見れば不安で頼りなさげに見えるかもしれませんが……将来のことも、きちんと考えています」
たぶん……いえ、きっと、そうだったのでしょう……。
「へえ。じゃあ、どんな風に? 聞かせてくれよ」
金田さんは大きく胸を張って、背もたれに体をあずけました。完全に僕を見下ろすような姿勢です。「さあどんな立派な考えを持っているか聞かせてもらおうじゃないか」「どうせたいしたビジョンなんて持っちゃいないんだろ?」……そんな内心の声が聞こえてきそうです。
「それは……」
僕は結局、そのまま何も答えられませんでした。
と、しばらくして金田さんは、突然笑い出しました。店内に響き渡るほどの大きな、甲高い笑い声でした。
「いやあ、失敬失敬。いじめるつもりはなかったんだけどねえ。そこまで思いつめるとは思わなかったんだ。悪かったね」
金田さんはおかしくてたまらないという風に体をゆすり、懐からタバコを取り出して火をつけました。そして大きく鼻から煙を吐き出すと、
「秀一くんは、どうやらあまり世間ずれしていないようだね。君のお母さんは、よっぽど君を大事に育ててきたとみえる」
そう言うのでした。もちろんそれは、嫌み以外の何ものでもありません。ですが僕には、それを言い返せるだけの力は、もうありませんでした。
「それに君はおとなし過ぎるよ。顔色は悪いし、太りすぎじゃないか。運動するなり鍛えるなりなんかして、少しは身奇麗にもしないとな」
金田さんが僕の肩をバンバンとたたいて、また笑います。その笑いはもはや、はじめのころの抑えたポーズだけの笑みではなくなっていました。なんともいやらしい、下卑たものになっていました。こっちが金田さんの本当の「笑い」なのでしょう。
「でもまあ、さっきの話だけどね。真剣に考えておいた方が良いぞ。何度も言うけど、お母さんのことを考えたら、一刻も早く社会に出て、君が働いて楽をさせてあげた方がいいに決まっているだろう? モラトリアムもいいけれど、そんなものは麻疹みたいなもので、十代のうちに、終わらせなきゃいけないものなんだからな」
完全に言い方が、説教口調になっていました。
ここにも金田さんのやり方の一部が、垣間見えるかようでした。相手の立場が弱いとわかれば、一気呵成にずけずけと踏み込んでくる……。
「け……結構です。自分のことは……自分で何とかやりますから」
僕はか細い声で、そう返すのが精一杯でした。
「そうかい。まあ、無理強いはしないけれどもさあ」
金田さんはまだ何か言いたげでしたが、僕はすぐに立ち上がりました。へんな勢いがついてしまったので、一方の膝がテーブルに当たって、「ガチャン」と大きな音がたってしまいました。
「すみません……し、失礼します。ごちそうさまでした」
僕はぎくしゃくと頭をさげて、席を立ちました。とうとう自分のアイスコーヒーには、一度も口をつけませんでした。
外に出た僕は、照りつける強い日差しと、むっとした熱い空気に、思わずたじろぎました。それでも、すぐにその場から離れようと、必死に足を早めました。心の中は屈辱と怒りがぐるぐると渦を巻いて、それからどのようにして家に戻ったか、まったく記憶にありません……。
そのとき、金田さんを「殺してやりたい」と思ったかって?
そうですね……きっとそうだったんでしょうね。でも……思うことと、実際に手にかけることは違うわけで……。
いや、今の話は別に、僕の中に芽生えた「殺意」についてではなくて、あくまで金田さんの人となりについて……つっこんだ説明というか、もう少し理解を深めていただこうと思っただけで……ただ、それだけで……。
あなたはどんな風に感じましたか?
金田さんは、面倒見のいい、男気のある、立派な人物だったと思いますか?
金田さんに、好意を……感じることができそうですか?
僕は……とうとう最後まで、金田さんを好きにはなれませんでしたけどね……。
ばらばら その2
君の願い、僕の願い
雨は激しく
安雄はしばらくの間逡巡していたが、絶え間なく音が続くので、あきらめて玄関のドアを開いた。
「やあ、ひさしぶり」
目の前には、ひょろりとした背の高い男が立っている。
「ええと……」見たような顔だった。話したこともあるような気がした。だがいつどこでだったかまでは思い出せない。同級生? バイト仲間? 同じアパートの住人? どれも正しいようで、どれも違うような気がした。
「ひどいなあ。○○だよ。××ゼミで一緒だった……」
肝心の名前もゼミ名もよく聞き取れなかったが、『一緒だった』と言われれば、それはそうなのかもしれなかった。
「……とりあえず入れてくれないか。びしょ濡れなんだ」見れば確かに上半身は濡れそぼって、頭からしずくも垂れている。いずれにしても、ここで追い返すのは気の毒に思えて、安雄は男を中へと引き入れた。
「雨……なのかい?」安雄はたずねた。「いきなりだよ」男は答えた。ふと彼は気になって、閉じかけたドアをもう一度開き、そこから外を眺めてみた。早咲きの桜のむこうには、澄んだ青空が広がっていた。
「降ってなんかいないじゃないか」と言うと、男は「そうかい?」と言って、ふっと笑った。人懐こい笑顔だった。さらに「でも濡れてしまったのは事実だからね」とつぶやいて、「良かったら、タオルを貸してくれないか?」と続けた。
「……」安雄は男からなるべく視線を逸らさぬように気をつけながら、いったん部屋まで戻り、すぐにタオルを手にして戻ってきた。以前、新聞屋が無理やりおいていったもので、未開封の状態だった。
「ああ、ありがとう」男は特に気にもせず、袋から出して、自分の頭にかぶせた。はじめはやさしく丁寧にタオルを髪にあてがっていたが、すぐにわしゃわしゃと力を込めてふきはじめた。
「おや……? なんだ、君も濡れているじゃないか」突然男が声をかけてきた。「えっ?」その言葉に安雄は思わず顔を上げた。「ホラ、そのズボン……」と言われてジーパンのすそを見、「そのシャツ……」と言われてデニムのシャツの袖をつまみ、「それに、その手はどうしたんだい? けがでもしたのかい?」と言われて両の手のひらを広げた。だが彼はなぜか、すぐにその手を腰の後ろへと、男の見えないところへと隠してしまうのであった。
「あと、その額は……ああ、それは汗か」言われるままに、今度はおでこのあたりをぬぐってみると、確かに滴るほどの量である。暑くも寒くもないはずなのに、どうしてこんなにも汗ばむのだろうか。「言ってくれれば、先にタオルを使ってもらったのに」男はすまなさそうな顔をした。
「いや、大丈夫だよ。これくらい……」と安雄は言ったが、次の瞬間思いもよらぬことを口にした。
「よ、よかったら、上がって、お、お茶でも飲んでいかない、かい?」
――ええっ?
しどろもどろだったが、それは間違いなく、彼の口から洩れた言葉だった。
「いいのかい? でも、床が濡れちゃうし」「い、いや、いいんだ。フローリングだし。ふ、拭けば、いいんだから」「じゃあ、お言葉に甘えて」「ど、どうぞ。どうぞ」
言葉が次から次へとあふれていった。安雄は驚き、自分に何が起こったのか、困惑していた。
「あれ? 引っ越しの準備でもしていたのかい?」先に部屋へ入った男が言った。六畳一間のその部屋は、驚くほど殺風景だった。備え付けのテレビやテーブルは隅にまとめられ、クローゼットや棚にはほとんど物が残っておらず、代わりにはちきれんばかりに中身が詰め込まれた段ボール箱が、壁に沿ってうずたかく積み上げられているのだった。
「それとも、なにかをするために片付けていたとか……」とさらに男はつぶやいた。
「『なにかをする』って……?」安雄はおうむ返しに答えた。「どういうこと、かな」口のあたりがこわばってしまって、うまくしゃべることもできない。
「だって、そこにビニールシートが」男が指さす方向には、青いビニールシートがあった。「しかもノコギリや包丁なんかも出しっぱなしで」別に指さした方向には、無造作に並べられた工具類があった。「新聞紙やティッシュをこんなにいっぱい何に使うんだい?」そこには古新聞やトイレットペーパーの山ができていた。
「それは……」
まったく記憶になかった。しかしここは安雄の部屋なのだから、それらを用意したのも彼であるはずだった。
「ああ、ひょっとして日曜大工、ってやつかな?」男は自分の言葉に何度もうなずいて、「しかし余裕があるね……やっぱり、東京の一流企業に就職が決まった人は違うね」と付け加えた。
「ど、どっ……」
「どうして知っているのかって? そりゃそうさ。君は案外、有名人なんだぜ?」男は安雄の言葉を補いながら答えた。「そうでなくとも、僕は君のことなら、『なんでもわかっている』つもりだからね」そう言ってクスクスと笑った。
――なっ……。
もはや心の中でも、安雄はまともにしゃべることができなくなっていた。
「まあいずれにしても、大事なものを忘れているじゃないか」男はすっと棚の前へ移動した。小さな写真立てが、うつぶせの状態で放置されていた。「おやおや」男はそれを立て直すと、中の写真をのぞき込んだ。どこかの遊園地を訪れた安雄と、その腕にしがみつく少女の姿が写っていた。「かわいらしい子じゃないか。ちょっと性格はきつそうだけどね」と言ってまた笑った。
「…………」
「この子も東京に呼ぶの?」安雄は答えなかった。「……っていうかこのタイプだと、断ってもついてきそうだよね」安雄は答えなかった。「思い込みも激しそうだから、その場しのぎに適当なことを言ったりすると、逆に面倒なことになるんだよね」安雄は答えなかった。「例えば……既成事実をでっちあげたりなんかして、追い込んでくるとか……」安雄は答えなかった……が。
「君は……いったい何者なんだ」
まるで他人のような、かすれたしわがれ声だった。
「さっきも言ったじゃないか……〇〇だよ」
やはり名前が聞き取れない。なにかひどいノイズのようなものが、そこの部分だけに覆いかぶさっているかのようだった。
「僕は、君なんて……知らない」
だがこの瞬間に確信した。この男とは話したことはおろか、会ったことすらない。
「そうだっけ? まあいいさ。これから十分に『知り合う』ことになるんだから……」
男は笑顔を浮かべたままゆっくりと近づいてきて、安雄の肩をたたいた。軽く触れただけのはずなのに、彼はその場に崩れ落ちた。
「おや、また雨が降ってきたみたいだね」
その言葉にやや遅れて、雨音のような音が、かすかに耳に入ってきた。
「いや、違うな……なんだ、風呂場から聞こえているのか。ねえ、君。どうやらシャワーが出しっぱなしのようだよ?」
安雄は膝をついたまま力なく振り返り、ユニットバスのほうを見た。そうだ。この男が来るまで、自分はそこに籠っていたのだ。体がひどく『汚れ』てしまったので、まずはそれを『きれい』にしなければならなかった。それからこの部屋で『作業』をしようと考えていて……それから……それから……。
――なんだ……雨はさっきからずっと、絶え間なく降り続いていたんじゃないか……。
そしてこれから安雄が向かう先では、いつまでも、どこまでも、さらに激しい雨が吹き荒いでいくことだろう。
(終)